落ち着かない服
こんにちは。杉田です。
先日のお客様との会話で「毎日コロコロ服を変える同僚がいるけれど、見ている側が落ち着かない」という話題が上がりました。「いろんな服を着て、いろんな’私’になることも楽しいなー」と思っていた私は、そんな視点もあるのかと驚いたんですね。
それで、いったいどういう場合に”見ている側が落ち着かない”現象が起きるのかを想像してみました。
見ている側にストレス?
例えば、職場では求められる仕事や立ち位置が日毎に変わる人は少ないです。
服の印象がコロコロ変わると、見ている側にちょっとした”ひっかかり”があるのかもしれない。それが少しずつ見えないストレスになって、その人を見ると落ち着かなくなる。そんな感じでしょうか?
確かに服の傾向に一定の決まりがあると見ていて安心感があるし、服云々は気にならないんですよね。それよりもキャラクターや人柄が滲み出てくるように思います。
服が変わっても、印象が良い人と悪い人がいる
毎日いろんな服に変える人はその変化を楽しんでいると思うんだけど、それをしていて印象が良い人と悪い人がいるのが気になります。
例えば、ちょっと話はずれますが・・
パーソナルスタイリスト事務所で働いていた時に、どんなにおしゃれだったとしても「私っておしゃれでしょ?」のオーラが出てしまう人は、お客様に嫌悪感を与えてしまって良くないということがありました。
自己顕示欲のためのおしゃれはあまり良い印象にならないんですよね。
これと一緒なのかどうかはわからないですが、おしゃれも自己顕示欲もちょっと引き算するくらいが素敵なのかもしれません。
毎日服を変えても軸があれば大丈夫なのか
いろんな服を着ていても素敵な人は、どこかに軸や法則性がある人なんだと思うんですね。安定感とワクワクのバランス、変わらない部分と変わる部分のバランスとか、バランス感覚が良い人に憧れます。
以前会った女性で素敵だなと思った人に、気をつけていることを聞いてみたんですね。答えは「製造している国をドイツで統一している」というもの。
国縛りでおしゃれをするなんて新鮮でびっくりしたんですが、その国の国民性が好きなら自身と共鳴するものがあるはず。
ちなみにドイツ生まれのブランドというと、身近なところならビルケンシュトックとかアディダス、プーマもそう。
ドイツ人は秩序を重んじ勤勉な国民性ですが、ドイツの製品もそれに似ていて、機能性がよく・余分な装飾が少なめ・実直な雰囲気が漂うようなものが多いです。
意思の強さを感じる彼女にとても似合っていて、おしゃれだなーと思いました。
服選びを妥協しない
似合う服を厳選して選んでいくと自然と軸が出来上がっていく、ということもあります。テーマや軸を決めてから行うことが多いですが、似合う服を探し求めると自然と軸が見えてくるんですよね。
私もお客様もとにかく真剣なので「まぁいいか」という服は全て却下されて、2人のジャッジに合格した服だけが残るからです。
似合う&本人もしっくりくるような服は、何でもアリではなく一定の法則があるような・・。
「似合う服を選ぶことは自分と向き合うことと同じ」という言葉を着こなし本で良く見かけますが、まさしくその通りだと思います。
動機が大切
そうは言っても、似合う服を探している時や挑戦している段階の「コロコロ変わるファッション」はアリなんだと思います。
迷っている時のファッションって(私は職業柄かもしれませんが)何となく伝わってきて、迷走中なんだなーと。そこに拒否感を感じることはないんです。
ちなみに・・私は服に関わる仕事をしていても、頻繁に迷走しています。笑
今日もブログにいらしていただきありがとうございます。