服の断捨離についてもう一度考えてみる

断捨離をしてから、私のクローゼットは本当にすっきりしました。衣替えもあっという間に終わり、服の管理はとても楽です^^

この1年で私がやったことはこの2つ。
1.服の数を極力減らし
2.着まわしよりも気に入った同じコーディネートを何度も着る
良いこともありますが、そうでないこともあります。少し仕切り直しが必要な時期になり、その経過を書いておくことにしました。

2はちょっとわかりにくいかもしれないので、もう少し説明しますね。
きっかけは地引いく子さんの本です。
同じ服を何度も着ていると思われないように、ファッション雑誌では着まわし特集を頻繁にやっていました。(もちろん今でもありますが、以前よりも少なくなってきました)「着まわし」が上手にできること=オシャレの代名詞になっていたんですね。

でも着まわしが上手にできる人はそんなに多くなく、結果的には何にでも合う服を買って、無難な服同士を合わせたパッとしないコーディネートになってしまうわけです。それで、毎日違うけど同じ印象の服を着るなら、本当に似合う着こなしを何度も着た方が素敵なんじゃないかという提案です。

その通りだ!!と思った私は、少しずつ断捨離を進め、気に入った着こなしを何度も着るという衣生活に変えてみました。

この考え方の根本はすごく良いんです。

ですが、最近行き詰まりを感じるようになりました。自分にちょうど良い加減が見つかっていないんですよね。

私は服が好きだし、仕事柄いろんなコーディネートを見ているので、本当に気に入った着こなしは、着た時の驚きや新鮮さが何より大事なんですね。
そして驚きや新鮮さというのは、予想外のところが発生するので、「ムダ」が必要なんです。
「ムダ」は家にある着ていなかった服がまさにそう。新しい服と合わせてみたら、びっくりするような面白いコーディネートになることは多く、その意外性が面白い。

だから、気に入ったコーディネートができればずっと同じでもしばらく飽きることはないのですが、「気に入ったコーディネート=新鮮さ」という自分の場合は、新鮮なコーディネートを探す手段の1つに家にあるムダな服が大事だったということでした。

断捨離にしても、好きなものは残さないとダメなんですよね。
服に対して、利便性や機能性を強く求めている人にとっては、少ない数で決まったコーディネートをすることは心地よいことだと思います。
でも好きな人にとっては、それが苦痛になることもあるんですね。

例えば姉は本が好きだし、妹は美容に熱心だし、友人はバイクに凝っています。それぞれ服の立ち位置は違っていて、姉はおかしくなければOK、妹は服は好きですが、そこまでこだわりません。友人は着心地がよければいい、という感じ。
自分の服の立ち位置によって、服の在り方やワードローブの揃え方も変わってくるんだなと思いました。

自分の好きなことは「ムダ」こそ宝物で、「ムダ」が楽しみになるんですね。

今日もブログにいらしていただきありがとうございます!

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